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島津日新斎「いろはうた」より

① 原文

はかなくも明日の命を頼むかな 今日も今日と 学びをばせで


② 現代語訳

明日も生きていると、私たちはつい当然のように思ってしまう。だが命はもろく、明日の保証はない。
だからこそ今日という一日を、今日として引き受け、学ぶことを後回しにせず重ねていきなさい。


③ 編集者注

人は目的の途上で果てることもあり得ると承知した上で物事に向き合えるなら、些細な成果や評価を急いで求める心から、いくらか距離を取ることができる。

そもそも成果の意味は受け取る側によって異なり、時間の経過とともに評価が変わることも少なくない。人物をめぐる毀誉褒貶を見れば、その不確かさは明らかだろう。

一方で、評価とは別に、取り組みの過程で生まれたもの(たとえ未完であっても)が消えずに残る場合がある。その形は、記録として残ることもあれば、誰かの思考に入り込み、別の言葉として現れることもある。

私たちが「学ぶ」と呼んでいる行為は、過去の人々が積み重ねてきた試行や理解を受け取り、それを次の時代へ手渡す営みとも読める。

学びは筋力と同じく、断続的ではなく続けられることで視野や判断の質に変化をもたらす。始めた頃と数年を経た後とでは、同じ対象でも見え方が異なってくる。

日々の積み重ねが意味を持つかどうかは、即座には分からない。その不確かさを含んだまま続けられるかが、ここでは問われているようにも思われる。


補記|儚さという前提

島津日新斎が見ていた世界では、死は抽象概念ではなく日常の延長にあった。命の儚さを前提に据えることで、今日の一日は「消費する時間」ではなく、「引き受けた時間」として立ち上がる。その感覚を、現代にそのまま移植できるかどうかは、読む側の判断に委ねられている。